最高裁判所第二小法廷 昭和51年(行ツ)101号 判決 1980年12月19日
上告人 国
訴訟代理人 柳川俊一 緒賀恒雄 松永榮治 水野秋一 高橋欣一 小野拓美 玉田真一 ほか二名
被上告人 小野正春
主文
原判決中上告人敗訴の部分を破棄する。
前項の部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人貞家克巳、同伴喬之輔、同堀井善吉、同鎌田泰輝、同持本健司、同荒木文明、同松村猛、同山口静夫の上告理由第一点について
論旨は、要するに、収容者の処遇等に関する訓令、通達等を記載した「監獄法(抜粋)」と題する箇所(以下「通達類の部分」という。)を含めて本件雑誌の閲読を不許可にした中野刑務所長の処分(以下「本件処分」という。)を違法とした原判決には、監獄法三一条及び同法施行規則八六条一項の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
一 そこで、まず本件について原審の認定した事実関係をみると、おおむね、次のとおりである。
1 昭和四二年一〇月八日のいわゆる第一次羽田事件以来、学生を中心とする集団公安事件の発生の増加には異常なものがあり、本来未決の被告人を拘禁する拘置監ではなかつた中野刑務所においても、昭和四四年五月頃からこの種の被告人らを収容せざるをえない状態となり、本件処分当時、同刑務所は四一〇名余の受刑者のほか二一五名の被告人を収容するに至つていた。
2 被上告人を含めて右中野刑務所に収容されていた被告人らはすべて公安事件関係者であつたが、これらの被告人は、概して非常に反抗的で、刑務所職員の指示・命令にも素直に従わず、また、連帯意識が非常に強く、規律違反行為の波及が顕著であつた。すなわち、何かのきつかけで一人が大声で叫ぶと、次々と他の者がこれに呼応して大声を出しシユプレヒコールをあげ、あるいは房扉、房壁、便器、洗面器等をたたき、床を踏み鳴らすなどの違反行為に及び、舎房の中ががんがんする程の喧噪になつた。しかも、一人一人が波状的に右のような違反行為を繰り返すため、その制止等のために職員がかけつけても、直接違反行為を現認できることはまれであり、所内の規律の維持が極めて困難な状況にあつた。そして、このような舎房全体の静ひつを乱す規律違反は、昭和四五年六月ごろは毎晩繰り返され、本件処分当時もしばしば発生した。
3 このような状況のもとで被告人らに対する戒護に万全を期し、集団拘禁施設としての刑務所の秩序を維持するためには、これら被告人とその戒護にあたる刑務所職員との間の最低限度の信頼関係の維持が不可欠であつて、刑務所又はその職員に対する不信感や敵意をあおるおそれのある図書を多数の被告人に時を同じくして閲読させるときは、多数の共同による規律違反行為を誘発し、刑務所内の秩序維持に著しい支障をきたす相当の蓋然性があつた。
4 雑誌「闘争と弁護」(一九七〇年七月)(甲第一号証、以下「本件雑誌」という。)は、昭和四五年七月末、中野刑務所に勾留されていた被上告人ほか一〇〇名の被告人に対して一冊ずつ差し入れられたものであるが、「看守による個別的リンチ、あるいは所長による意図的懲罰というようなかたちで、必らず報復が加えられる。」、「何よりも裸の暴力が優先する。」、「これまで何回となく報告されている拘置所における懲罰に名を借りた暴行、虐待事案」といつた表現が数多くあり、これを読む者に刑務所職員に対する不信感ないし敵対意識をいだかせるおそれがあるものである。
5 本件雑誌には、「監獄法(抜粋)」と題して、収容者の処遇ないし取扱に関する運用についての訓令、通牒、通達等が掲載されているが、この通達類の部分が掲載されているのは、全体で一二四頁ある本件雑誌のうちの二七頁である。
6 中野刑務所においては、閲読許可不適当の箇所を抹消したり切除したりする事務を担当する教育課図書係は、常時は職員が一名と図書夫(受刑者で作業として右の仕事をさせている者)一名の合計二名であつたところ、昭和四五年八月において右図書係が抹消ないし切除した図書の数は七四七八点(六月は八七三一点、七月は五一八三点であつた。)に及び、これに加えて百冊に近い本件雑誌について抹消の作業を多数の頁にわたつて短期間に行うことは、刑務所の管理運営上著しい支障を生ずることとなり、ほとんど不可能に近いものであつた。
二 原審は、以上のような事実を認定しながら、前記通達類は、その内容を知る利益を有する者に対してこれを秘匿しなければならないものではなく、これを閲読したからといつて収容者の逃亡、罪証隠滅に役立ち、あるいは所内秩序のびん乱をきたすものとは考えられないから、右通達類の部分をも含めて本件雑誌の閲読を不許可にした処分は違法であり、また、右通達類の部分は、他の記事と区別されて掲載されているから、この部分だけ切り離して綴つたうえ閲覧させる方法によることができるものであつて、このような方法によるものであれば、少数の職員でも処理することができたものと考えられるから、右の部分を含めた本件雑誌の閲読不許可処分が刑務所長の合理的な裁量権の範囲内のものということはできない、と判断している。
しかしながら、行刑及び未決拘禁に関する通達等は、もともと、監獄法令を適用、実施するにあたつての職務上の指示ないし指針であつて、収容者の目に触れることを前提として作成されたものではないのであるから、通達等における具体的な記述は、それが収容者の目に触れた場合に与える影響についてまで必ずしも十分な考慮が払われていないものが少なくないことは容易に理解しうるところである。したがつて、通達等の定める収容者の処遇の内容そのものは特に秘匿する必要がない場合であつても、その記述いかんによつては、これを収容者に閲読させることにより、無用の誤解を与え、ひいては不安、動揺の原因となりうるものがあることは否定することができないと考えられる。しかも、前記のとおり、原審の認定によれば、被上告人を含めて当時中野刑務所に収容されていた集団公安事件関係の被告人らは、概して非常に反抗的で、刑務所職員の指示・命令にも素直に従わず、また、連帯意識が非常に強く、規律違反行為の波及が顕著であつたというのであるから、他に特段の事情がない限り、このような被告人らに本件通達類の部分の閲読を許すときは、右被告人らはその趣旨を曲解し、刑務所職員に対し共同して規律違反行為に出ることが容易に予想されたものというべきである。
以上に徴すれば、右通達類の部分を含めた本件雑誌の閲読不許可処分が刑務所長の合理的な裁量権の範囲内のものということはできないとした原審の判断には直ちに首肯しがたいものがある。これと異なる見解に立つて右通達類の部分の閲読不許可処分を違法とした原判決は、監獄法三一条及び同法施行規則八六条一項の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽の違法があるものといわざるをえず、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴部分は、その余の点につき判断するまでもなく破棄を免れない。そして更に審理を尽くさせる必要があるから、右部分につき本件を原審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 塚本重頼 栗本一夫 木下忠良 臨野宜慶 宮崎梧一)
上告理由
第一点原判決には監獄法三一条、監獄法施行規則八六条一項の解釈適用を誤つた違法があり、この法令違背が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
一、原判決は、中野刑務所長が昭和四五年八月一五日ごろ被上告人に対してした閲読不許可処分の対象図書である雑誌「闘争と弁護(一九七〇年七月号)」(以下「本件雑誌」という。)の記事のうちには、被上告人ら拘禁中の公安関係被告人多数にこれを閲読させるときは、中野刑務所における拘禁秩序の破壊をもたらすに至る具体的なおそれがあると認められるものが少なくとも本件雑誌一二四ページ中の約四分の一のページ数にわたつて随所に存在することを肯定しながら、本件雑誌中三九ページから六五ページにかけて主として収容者の処遇ないし取扱いに関する運用についての訓令、通牒、通達等を収録掲載した「監獄法(抜粋)」と題する箇所(以下「本件通達類の部分」といい、同所に掲載されている訓令、通牒、通達等を「本件通達等」という。)は、これを秘匿しておかなければならないような機密にわたる事項は含まれていないし、殊更内容を曲げて編集され、又は意図的ないし暴露的な表現をもつて掲載されたものでもなく、また、これを閲読させたからといつて、そのことにより収容者の逃亡や罪証隠滅に役立つたり、所内秩序のびん乱を来すとは考えられないから、本件通達類の部分の閲覧を禁止すべき理由はなく、したがつて本件雑誌中の他の部分の閲読が不相当であるとしても、本件通達類の部分をも含めて閲読を不許可とした処分は違法である旨判断している。
しかしながら、後記二において述べるとおり、本件通達類の部分のうちには、本件不許可処分当時の中野刑務所における具体的状況下においては、これを被収容者に閲読させるときは所内秩序をびん乱きせるおそれがあるため閲読させることが不相当であるものが含まれているのであるから、原判決が本件通達類の部分につき、その閲読を禁止すべき理由はない旨判断したのは失当である。
また、右の点は別としても、本件通達類の部分を除くその余の本件雑誌の記事中には、原判決も肯定しているとおり、閲読させることを不相当とする部分が随所に存在しているのであつて、このように一冊の図書中に閲読させることを不相当とする部分がある場合において、未決拘禁者の図書閲読の自由に対する制限としてどのような態様のものを選ぶべきかについては、監獄の長の判断にある程度の裁量の余地を認めざるを得ないところ、後記三において述べるとおり、本件において中野刑務所長が本件通達類の部分をも含めて本件雑誌それ自体の閲読を不許可としたのは、適正な利益考量に基づく必要かつ合理的な措置であり、右処分に裁量権の行使を誤つたかしは存しないから、原判決が右処分は違法である旨判断したのは失当である。
以下、右各論点について詳述することとする。
二、本件通達類の部分の閲読を禁止すべき理由はないとした原判断の誤りについて
1 監獄法三一条一項は「在監者文書、図画ノ閲読ヲ請フトキハ之ヲ許ス」と規定し、監獄法施行規則八六条一項は「文書図画ノ閲読ハ拘禁ノ目的ニ反セズ且ツ監獄ノ紀律ニ害ナキモノニ限リ之ヲ許ス」と規定しているが、原判決は、未決拘禁者に対する図書閲読の制限基準について、「図書閲読の自由は、日本国憲法第一九条により保障された思想の自由や同法第二一条により保障された表現の自由などと密接な関連を有する基本的人権であり、また、図書は、身体行動の自由を拘束されている未決拘禁者にとつて貴重な情報源でもあること等に鑑みれば、未決拘禁者の図書閲読については、その自由を充分に尊重すべきであつて、ただ、当該図書の内容、当該未決拘禁者の性格、精神状態、当該監獄の人的、物的戒護能力その他諸般の具体的状況の下において、図書を閲読させることが拘禁目的を阻害し、監獄の秩序を害し、その正常な管理運営に支障をきたす相当の蓋然性が認められる場合にのみ、これを制限することができるものと解するのが相当である。」と判示している(原判決の引用する第一審判決二三丁裏七行目から二四丁表七行目まで)。
原判決の示す右の制限基準によれば、未決拘禁者に対し、図書等を閲読させることにより刑務所内の秩序を害し、管理運営に支障を生ずるおそれが認められる場合には、当該図書等の閲読を制限することが許されるのであるが、ここにいうところの刑務所内の秩序を害し、管理運営に支障を生ずるおそれがあるか否かは、原判決が正当に指摘しているように、処分時における諸般の具体的状況を総合して判断すべきものであり、単に図書等の内容のみに着目して抽象的に判断すべきものでないことはいうまでもない。
2 ところで、一般に(行刑及び未決拘禁に関する訓令、通牒及び通達(以下単に「通達等」という。)は、監獄法令を適用、実施するに当たつての職務上の指示ないし指針であつて、それ自体を被収容者に見せることは本来予定されていないものである。
したがつて、通達等の目的とするところが、被収容者の処遇の基準を定め、又は処遇の一層の改善を図ることにあり、それら処遇の内容そのものは特に秘匿する必要がない場合であつても、通達等が元来被収容者の目に直接触れるものではないことを前提として作成されているところから、具体的な記述そのものは、それが被収容者の目に触れた場合に与える影響についてまで十分の考慮が払われていないものが少なくない。それゆえ、通達等の記述いかんによつては、これを被収容者に閲読させることにより、無用の誤解を与え、ひいては不安、動揺の原因となり得るものも存在することは否定し得ないところである。
このことを本件通達等についていえば、少なくとも、次に掲げるものは、被収容者に閲読させることが不相当であるものに該当する。
(一) 本件通達等の申には、戦後の窮乏時における特殊状況に対処するために発せられたものが含まれている。これらの通達等が前提としている行刑施設内の状況は現在の状況とは著しく異なるものであるが、これらの通達等を無条件で被収容者に閲読させた場合には、通達等の前提としている状況があたかも現在の状況であるかのごとき誤解を与え、そのために、いたずらに行刑当局に対する不信の念を抱かせるおそれがある。
例えば、「収容者処遇の適正化に関する件」(昭和二一年七月行刑局長依命通牒行甲第二二四号)(甲第一号証四六ページ)の「給養」の項には、動物性蛋白質の補給、主食量の規定量目に不足を来さないこと、食物の調理は粗雑、粗悪なる多量生産の弊に陥らないこと等の記述があり、行刑施設においては、十分な食物が給与されず、しかも食物は粗雑、粗悪であるかのごとき誤解を与えるおそれがある。また、同通牒の「医療」の項には、「死亡率の低下対策」と題して、「最近に於ける死亡率の著しい昂騰は……これを以て直ちに処遇の劣悪就中医療施設の貧困の証左として論ぜられるのであるから……」との記述があり、一般に行刑施設においては、処遇の劣悪、医療施設の貧困により死亡率が高いかのごとき誤つた印象を与え、いたずらに行刑施設の医療体制に対する不信と不安の念を抱かせるおそれがある。更に、同通牒中には、栄養失調症及び結核に対する対策に関する記述があり、栄養失調症及び結核が一般化しているかのごとき誤解を与えるおそれがある。
次に、「行刑の運営に関し改善すべき件」(昭和二二年一月三〇日行刑局長通牒行甲第一〇四号)(甲第一号証四九ページ)の三項には、「収容者の健康並に病気の診断及び治療は、動もすれば形式に流れ或は保健助手に一任する等の悪弊が見受けられる」として、神経症患者の例が挙げられており、行刑施設における医療に対し不信感を抱かせるおそれがある。また、同通牒の四項には「疥癬撲滅」対策に関する記述があり、現在でもかいせんがまん延しており、貸与される衣類、寝具も不衛生なものであるかのごとき誤解を与えるおそれがある。
そのほか、これに類する記述は、随所に存在するのである。
(二) 「特殊収容者の処遇について」(昭和二三年一一月二七日法務行政長官通牒矯総甲第一五七六号)(甲第一号証五一ページ)は、占領下の特殊な状況下において発せられた通牒であるため、連合軍憲兵隊に対する通報及び応援の依頼等現在においてはあり得ない事項が記載されているが、右通牒を読む者によつては、「連合軍」を現在我が国の施設及び区域を使用しているアメリヵ合衆国軍隊と混同する者がいないとは限らないし、また、右通牒には被収容者の処遇について思想的差別を行つているかのごとき記述があるので、現在においてもなお、差別的処遇が行われているかのごとき誤解を与えるおそれがある。
(三) 行刑の近代化が必ずしも十分でなかつた過去の一時期に一部の施設において発生した不祥事を機縁として発せられた通達等には、そのような不祥事を発生させるような処遇が現在なお行われているかのごとき誤解を与えるおそれのあるものがある。
例えば、「粗暴な収容者の取扱について」(昭和二七年三月一九日刑政長官通牒矯保甲第三〇二号)(甲第一号証五二ページ)には、「一部の刑務官にはかかる粗暴な収容者の態度に憤慨して軽卒に暴力を振う傾きがあり」として、死亡事故の例を挙げ、暴行事件の増加について戒めている記述があり、現在においても刑務官の一部には暴力を振るう者があるかのごとき誤解を与えるおそれがある。
また、「手錠及び捕じようの使用について」(昭和三二・一・二六矯正甲六五矯正局長通牒)(甲第一号証五四ページ)には、戒具の使用について、必要以上の拘束を加え、又はえび責め及び鉄砲責めと称せられる不法な使用をなし、特別公務員暴行陵虐罪に問われた事例があるとされ、「防声具使用上の注意について」(昭和三一・一〇・二五矯正甲一〇九二矯正局長通牒)(甲第一号証五四ページ)には、防声具の使用により窒息死した例が挙げられているが、これらの記述は、現在においても、違法な戒具の使用が行われているかのごとき誤解を与え、いたずらに不安、動揺を与えるおそれがある。なお、右の二つの通牒及び「鎮静衣等ノ使用上ニ関シ注意ノ件」(昭和四・五行甲七四九行刑局長通達)(甲第一号証五三ページ)においては、いずれも戒具の製式についての説明を併せ掲載するという編集方法がとられていないため、これらの戒具が一体どのようなものか、どのように使用されるかがわからず、その結果無用の不安と恐怖感を抱かせるおそれがある。
(四) 「懲罰、独居拘禁その他処遇の適正について」(昭和二二年九月一九日行刑局長通牒行甲第一二四五号)(甲第一号証五〇ページ)は、懲罰と独居拘禁とを併列的に記述しているので、独居拘禁が懲罰の実質を有するかのごとき誤解を与えるおそれがある。殊に、未決拘禁者は原則として独居拘禁に付されているので、未決拘禁者に対して右のような誤解を与えることは極めて好ましくない。
また、「未決勾留者ノ懲罰ニ関スル件」(昭和二・七行甲九三六行刑局長通達)(甲第一号証六四ページ)は、昭和年代の冒頭に発せられたものであるところ、その中には、未決拘禁者に対する懲罰が今なお漫然と行われているかのごとき誤解を生じさせるおそれのある部分があり、刑務官に対する不信の念を醸成させるおそれがある。
3 本件通達類の部分の中には、被収容者に閲読させるときは無用の誤解と刺激とを与えるおそれのある通達等が含まれていることは、前述のとおりであるが、被上告人に対して本件通達類の部分の閲読を禁止すべき理由があるかどうかについては、更に、本件不許可処分時における具体的状況、すなわち、原判決の引用する一審判決が述べているところの「当該未決拘禁者の性格、精神状態、当該監獄の人的、物的戒護能力その他諸般の具体的状況」との関連において判断されるべきものである。
ところで、本件不許可処分時におけるこれら諸般の具体的状況は、原判決の認定するところ(原判決の引用する第一審判決二五丁から二八丁まで)によれば、要旨次のとおりである。すなわち、昭和四四、四五年ごろは、学生を中心とする集団公安事件の発生増加に異常なものがあり、しかも被告人らの多くは、公判廷においてさえ暴言を吐き、裁判長の訴訟指揮に従わず、審理を妨害して退廷を命ぜられ、更には法廷等の秩序維持に関する法律により拘束され制裁を科される者が続出していた。中野刑務所では、右のような集団公安事件の激増により、多数の被告人を収容せざるを得ないこととなつたが、これらの保安、戒護、処遇に当たる職員の増員がなかつた。本件当時収容中の被告人は二一五名で、そのすべてが公安事件関係者であつたが、その舎房には看守七名を配置するのが手一杯であつた。右被告人らは概して非常に反抗的で、職員の指示・命令にも素直に従わず、また、連帯意識が非常に強く、規律違反行為の波及が顕著であり、限られた職員による規律違反行為の現認、制止、摘発は困難を極めた。そのため、被告人らとは別の舎房に収容されていた受刑者に与える影響も現実に憂慮される事態に至つていたのである。
4 右のような状況下において、本件通達類の部分の閲読を許すときは、少なくとも被上告人を含む本件雑誌の差入れを受けた公安関係事件被告人九八名が時を同じくして閲読の機会を得ることが予見されたものであり、極めて反権力意識の強い右被告人らは本件通達等の内容を非難するだけでなく、その趣旨を曲解し、あるいは本件通達等の完全遵守にしや口して個々の職員の取扱いに対し連帯又は共同して反抗的ないし闘争的行動に出るに至ることは当然に予想されたところである。そして、単に処遇に関し苦情を申し立てるのみでなく、巡回勤務する職員に議論をいどみ、巡回を困難ならしめ、その議論に舎房全体が呼応して房扉を乱打し、大声を発し、あるいは設備を破損する等のことがひん発することが容易に予見され、また、給食、医療行為等の処遇を拒否する等適正な業務の遂行を停滞ないしまひさせ、必要な処遇の確保を著しく困難にさせるに至ることも容易に予見されたところであつて、その結果刑務所の秩序を乱し、紀律を害するに至るべきことは経験則上容易に肯認され得るところであつた。
しかるに、原判決は、この点につき、「(本件通達等の内容に示された)基準を下廻る等不当な処遇を受けた収容者が基準どおりの正当な処遇を求めること自体、非難すべき理由はない。」としているのであるが、これは被収容者が本件通達等の趣旨、内容を正しく理解し、平穏に正当な処遇を求めることを前提として初めて肯定し得るところである。しかし、「反抗的、暴力的意識が強い」本件被収容者らに右のような平穏な行動を期待することはほとんど不可能であつたし、「基準を下廻る」とか、基準どおりの正当な処遇」であるとかは、解釈の余地の大きい問題であり、それ自体が抗争の原因となる性質のものであることはいうまでもないところである。
5 以上のとおりであるから、本件通達類の部分の閲読を許すときは、拘禁目的を阻害し、監獄の秩序を害し、その正常な管理運営に支障を来す相当の蓋然性があつたものというべきであるのに、原判決がこれを否定し、本件通達類の部分の閲読を禁止すべき理由はない旨判断したのは、本件通達等の内容が機密にわたるものでないことに拘泥するの余り、本件不許可処分当時の諸般の具体的状況を顧慮することを怠つた結果にほかならず、原判決のこの判断は、未決拘禁者に対する図書閲読の制限の適否に関する判断基準の適用を誤つたものであるとともに、ひいては監獄法三一条、監獄法施行規則八六条一項に違背するものといわなければならない。
三、本件通達類の部分の閲読をも不許可としたことは違法である旨の原判断の誤りについて
1 本件通達類の部分を除くその余の本件雑誌の記事中には、被上告人ら拘禁中の公安関係被告人多数にこれを閲読させるときは、中野刑務所における拘禁秩序の破壊をもたらすに至る具体的なおそれがあると認められる箇所が随所に存在し、したがつて右箇所はこれを閲読させることが不相当であつたことは、原判決もこれを肯定するところであるが、右のように一冊の図書中に閲読させることを不相当とする部分がある場合における図書の閲読制限の態様として、右図書全体の閲読を許さないものとするか、それとも閲読させることを不相当とする部分を抹消し又は切り取つた上、残余の部分の閲読を許すものとするかについては、監獄という特殊な集団拘禁施設の特質にかんがみ、施設内の諸事情に通暁し、かつ、専門的技術的知識と経験を有する施設の長の判断にある程度の裁量の余地を認めざるを得ないのであつて、原判決もこれと同旨の見解を述べている(原判決の引用する第一審判決二四丁参照)。
そして、施設の長が右の点に関し裁量権を行使するに際しては、閲読させることを不相当とする部分を除くその余の部分に対する被収容者の閲読の必要性のほか、一部の抹消又は切除による図書の効用き損の程度、一部の抹消又は切除の作業に要する労力及びその作業が拘禁施設の管理運営に及ぼす支障の程度等を総合衡量して、必要かつ合理的な限度において閲読制限の態様を決定すべきものである。
2 本件不許可処分に関し原判決の認定した事実によれば、
本件雑誌の記事中、当時中野刑務所に拘禁中の公安関係被告人に閲読させることを不相当とする箇所は、本件雑誌全体(一二四ページ)の約四分の一のページ数にわたつて随所に存在していた。本件不許可処分当時の中野刑務所においては、刑務所職員の不足が著しく、閲読許可不適当の箇所を抹消切除する事務を担当する図書係は、常時は職員一名と受刑者である図書夫一名とで事務を処理していたが、事務量が急増した場合にも職員を増すことはできず、図書夫(受刑者)を二名なり三名なり臨時に増員してまかなつていた。ところが、当時抹消切除を要する図書数は月五〇〇〇点ないし八〇〇〇点以上にも及んでおり、更に本件雑誌の閲読許可不適当箇所を完全に抹消するためには、紙質の関係から、同一箇所ごとに墨を数回重ねて塗るという面倒な作業を必要としたが、本件雑誌は被上告人のほか一〇〇名の公安関係被告人に対しほとんど同じ時期に差し入れられたものであり、現に本件不許可処分後二週間余の間に閲読願いが相次いで出され、結局九七冊が閲読不許可処分になつている。
というのである。
3 右のような事実関係の下においては、百冊近い本件雑誌につき閲読させることを不相当とする部分の抹消又は切除の作業を短期間のうちに行うことは、当時の中野刑務所の管理運営に重大な支障を及ぼすことが明らかであり、原判決もまた、一部の抹消又は切除の方法によつて本件雑誌を閲読させることは不可能であるとの中野刑務所長の判断は、それなりに合理性をもつものとして是認すべきであるとする(原判決の引用する第一審判決三五丁裏九行目から三六丁表一行目まで参照)。しかるに、原判決は一転して、本件雑誌中他の記事の部分はともかく、本件通達類の部分について閲読を許可しなかつたのは違法であるとし、その理由として、本件通達類の部分は他の記事と区別し一括して掲載されており、この部分だけを切り離してつづつた上閲覧させる等しかるべき方法によるならば、少数の職員でも処理可能であり、それほど煩雑な作業にもならないことを挙げている。
しかしながら、
(一) 本件通達類の部分には閲覧させることを不相当とする箇所はないとする原判決の前提(この前提が誤つていることは前記二において指摘した。)が正しいものとしても、本件通達類の部分が占めるページ数は本件雑誌の総ページ数の二二パーセント弱に当たる二七ページにすぎず、右の部分のみではもはや雑誌としての体を成さないばかりか、そもそも、本件通達類の部分は、その掲載されている位置から見ても、右の部分に先立つて掲載されている監獄法の問題点に関する論説等の内容の理解に資するための参照資料として付加的に掲載されているものであつて、右論説等と分離するときは、その存在意義はその大半が失われるものといつても過言ではない。したがつて、本件通達類の部分のみを閲覧させるべく切り離すこと(裏面から観察すれば、その他の記事の部分を閲覧させないため本件雑誌から切除することと同じである。)、は本件雑誌の全体としての効用を形状的にも、内容的にも著しくき損するものであることは明らかであり、このことは、被収容者に対し本件通達類の部分のみを閲覧させるべき必要性に乏しいことを裏付けるものである。
(二) ちなみに、「収容者に対する図書、新聞紙等取扱規程」(昭和四一年一二月一三日法務大臣訓令矯正甲第一三〇七号。以下「取扱規程」という。)(甲第一号証五六ページ参照)及びその運用通達である「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規程の運用について」(昭和四一年一二月二〇日矯正局長依命通達矯正甲第一三三〇号。以下「取扱規程の運用について」という。)(甲第一号証五九ページ参照)によれば、刑務所内の規律を害するおそれなどがあり収容者に閲読させることができない図書等であつても、刑務所長において適当であると認めるときは、支障となる部分を抹消し、又は切り取つた上、その閲読を許すことができるものとされているが(取扱規程三条五項参照)、この場合にあつては、抹消又は切取りを行うことによつて、図書等の形状及び内容を著しく損なうおそれがあるときはその閲読を許さないことができるものとされている(取扱規程の運用について二・2・(三)参照)。これは支障部分の抹消又は切取りによつて図書等の全体的効用を著しく損なうことがないようにするとの配慮に出たものであつて、合理的な措置ということができるのである。
(三) また、本件雑誌のうち本件通達類の部分を除くいわゆる本体部分は、原判決も肯認するとおり一括して閲読不許可とされてもやむを得ないものである。このように一冊の図書中の本体をなす部分の閲読が不許可相当とされる場合に、付随的意義しか有しない本件通達類の部分について、なおかつその閲読を許可しなければならないとするのは、明らかに当を得ない見解であるといわなければならない。
(四) 更に、本件雑誌を一々解体し、本件通達類の部分だけを切り離してつづり合わせることは、原判決のいうようにしかく簡単な作業であるとはいえず、また右事務は、約百冊分について短期間のうちに処理する必要があつたのであるから、原判決の認定する中野刑務所図書係の当時の配置人員及び毎月の事務量等に照らすと、前記事務が刑務所の正常な管理運営に支障を生ずることなく処理し得るものであつたとは到底認めることができない。
(五) 以上の諸点を総合考量するときは、本件通達類の部分は、刑務所当局がいかなる犠牲を払つても被上告人に閲読させなければならないほど、被上告人にとつて閲読の必要性が強いものではないことが明らかである。
4 したがつて、中野刑務所長が、本件通達類の部分を本件雑誌から分離して閲読を許すという措置を講ずることなく、右の部分をも含めて本件雑誌全体の閲読を不許可としたことは、適正な利益考量に基づく必要かつ合理的な措置であつて、もとよりその裁量権の範囲内の処分であり、そこには何の違法もなく、右不許可処分を違法であるとした原判決の判断は、未決拘禁者に対する図書閲読の制限の態様に関し監獄法令の解釈適用を誤つたものといわざるを得ない。
第二点原判決が本件不許可処分につき中野刑務所長に過失があると判断したのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな国家賠償法一条一項の解釈適用の誤りを犯したものである。
一、原判決は、本件通達類の部分を含めて本件雑誌の閲読を不許可にした処分が違法であるとすることから、直ちに右不許可処分をなした中野刑務所長にはその判断につき過失があるとしている。すなわち、原判決は、本件雑誌から本件通達類の部分を一括して切り離し右部分だけを閲読させる等しかるべき方法によるならば、少数の職員でもかかる事務に対処することが不可能であつたとは考えられず、それほど煩雑な作業にもならないはずであること等の事情から見て、刑務所長は過失の責めを免れない旨判示しているのであるが、原判決が挙げている右の事情は、本件不許可処分が合理的裁量権の範囲を超え違法であるとする理由付けにほかならず、過失責任を肯定する直接の根拠とはなし難いものというべきであるから、原判決は処分が違法である以上過失があるとの見解を採つているものと見るほかはない。
二、1 しかし、いかなる場合にある図書が監獄内の規律を害するものといい得るかは、拘禁目的の達成と未決拘禁者の図書閲読の自由との関係で必ずしも一義的に明らかであるとはいえず、本件雑誌中の本件通達類の部分についても、中野刑務所における当時の拘禁状況等に照らし右部分が閲読させることを不相当とするものに当たるかどうかは、解釈の分かれる微妙な法律問題である。
更に、図書の一部に閲読を許すことのできない部分が含まれているとき、いかなる場合に当該図書全体の閲読を不許可とすることが許されるかということも、これまた一義的に明らかであるとは言えず、この点に関する具体的判断基準は学説上も判例上も確立されていないのが現状であり、本件雑誌は、本件通達類の部分以外に多数の閲読不適当箇所を含んでいたのであるから、本件通達類の部分をも含めて本件雑誌全体の閲読を不許可とすることが違法であるか否かの判断は極めて困難であつたものということができる。
2 ところで、以上の諸点については、上告理由第一点三・3・(二)に掲げた「取扱規程」及び「取扱規程の運用について」が、行政解釈として一定の具体的な判断基準を設けている。すなわち、右「取扱規程」三条一項三号は、未決拘禁者に閲読させるべき図書、新聞紙等は「紀律を害するおそれのないもの」等でなければならないとし、これをうけて「取扱規程の運用について」二の1は、未決拘禁者に対しては「逃走・暴動等の刑務事故を取り扱つたもの」、「所内の秩序びん乱をあおり、そそのかすおそれのあるもの」等を内容とする図書、新聞紙等は「閲読を許さないこと」としている。
また、図書、新聞紙等の一部に規律を害するおそれのある記事がある場合の取扱いについて、「取扱規程」三条五項は、「収容者に閲読させることのできない図書、新聞紙その他の文書図画であつても、所長において適当であると認めるときは、支障となる部分を抹消し、又は切り取つたうえ、その閲読を許すことができる」ものとし、これをうけて「取扱規程の運用について」二の2は、「抹消し又は切り取るべき箇所が著しく多いなどのため、閲読を許すうえで事務手続が煩雑になるおそれがあるとき」、「抹消又は切取りを行うことによつて図書、新聞紙等の形状及び内容を著しくそこなうおそれがあるとき」等には全体について「閲読を許さない」ものとしているのである。
右の訓令及び通達が設けた具体的基準は、一応それなりの合理性を有すると認められ、少なくともそれが非合理的であることが明白であるとは到底考えられないところであり、右の具体的基準に従えば、本件通達類の部分をも含めて本件雑誌全体の閲読を不許可とすべきものとした中野刑務所長の判断は、決して首肯し得ないものではない。
3 そうすると、仮に、中野刑務所長が本件通達類の部分中にも規律を害するおそれのある箇所があると判断したことは客観的には誤りであり、また、本件通達類の部分は本件雑誌から分離した上その閲読を許すべきであつたにもかかわらず、そのような措置を講ずることなく本件雑誌全体につき閲読を不許可とした処分は違法であるとしても、これらの点に関する判断は極めて困難であり、本件雑誌の閲読の許否を判断するについては、前記2掲記の訓令及び通達による行政解釈以外に依拠すべき具体的判断基準は存在しなかつたのであるから、右行政解釈に従い、それが示している具体的基準を適用して不許可処分を行つた中野刑務所長には、未決拘禁者の図書閲読の権利又は利益を侵害することについて故意はもとより何らの過失もなかつたものというべきである。
三、以上の次第であるから、本件通達類の部分の閲読を不許可としたことにつき中野刑務所長に過失があるとした原判決は、国家賠償法一条一項の解釈適用を誤つたものといわなければならない。